こんにちは。設計 村上です。
梅雨が明けたと思ったら、
休む間もなく、35度越えの夏がやってきました。
日中は、エアコンのついた事務所で快適ですが、
家では自律神経を鍛えるために出来うる限りエアコンなしでやってます。
さて、
この4月に高校生になった長女は、
きつい受験生活から解放され、
セーブしていた読書欲を満たすべく、
コンスタントに図書館で本を借りてきます。
私もついでに読ませてもらっていますが、
ここ1か月のラインナップは
河崎秋子”颶風の王”
川上未映子”黄色い家”
浅井リョウ”桐島部活やめるってよ”
と現代文学と続いたのですが、
先日借りてきたのは、
谷崎潤一郎”陰翳礼讃”でした。
私も高校の時に読んだ本で、
折々の時に、私の前に現れる名著ですが、
時を経て、高校生の娘が読んでいることに、とてもうれしくなりました。
この”陰翳礼讃”は建築意匠のバイブルとも言われることもあるぐらいで、
日本家屋独特のひさしや障子、
そこから通ってくるの鈍い光や床の間の暗がりの美しさを再発見させてくれる一冊ですが、
高校生の当時、建築云々はともかく、
私が気になったのは、
『かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。(中略)あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。』
の漱石先生の羊羹と
『漆器と云うと、野暮くさい、雅味のないものにされてしまっているが、それは一つには、採光や照明の設備がもたらした「明るさ」のせいではないであろうか。事実、「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられないと云っていゝ。』
の漆器の野暮ったさです。
当時、実家はまさに陰翳な部屋ばかりで、
これはやってみなければと思い、
羊羹がなかったので、水ようかんを、
正直華やかすぎて好きになれなかった輪島塗の漆器にもって、
それを、
これまた豪奢すぎて気後れする輪島塗の机で食べる
ということをやりました。
真夏の暑い時間、陰翳な和室で漆器づくしで水ようかんを食べる女子高生は
谷崎ワールドに出てきそう。。。と一人悦に入り、食しました。
結果、
暗い中でみる漆器は、確かにちょうどいい。
そして、暗くて静かな和室で食べるヤ〇ザキの水ようかんは異様な深みがあるような気がしないでもない…
ということを発見できました。
陰翳な部屋のなくなりつつある現代ですが、
今度実家に帰ったら、
娘と漆器で水ようかんを食しつつ、
陰翳礼讃してみようかなと思う今日この頃です。